西へ向かってトラックを走らせてきた。
夜中に走り出し、翌朝、愛知で納品。
次に、芦屋まで走って、同級生がやっているレストラン「unfalo」で去年納めたテーブルのメンテナンス。
その日は同級生と飯を食い、泊まらせてもらって、翌朝、奈良吉野へ向かって出発。
吉野に着いたらまず、龍門にある中尾木材へ。
吉野では珍しく杉以外の樹種も多く扱う中尾木材。
色んな樹種や、個性的な木も見れるし、色々と話をする中でプロの製材方法や知らなかった木の知識を教えてもらえるので、中尾さんの製材所に来ると学びが多くとても楽しい。
前回来た時に、ミズメと山桜の丸太を買っていて、製材してもらっていたのでそれを積み込む。
リズムよく引き取りと注文を繰り返していきたいと思っているで、積まれている丸太の中から、今回は楢を選び、また製材しておいてもらうことに。
これでまた吉野に来るいい理由が出来た。
吉野は父の生まれ育った地。
小さい頃は祖父母の家に来たり、祖父母がいなくなってからも、川上村の方にキャンプに連れてきてもらったりと、ぼくにとって昔からゆかりのあるところ。
関西で建築の仕事を始めた頃からは、材木を買い付けるために、奈良方面へと通いはじめた。
父の小学生の頃からの同級生が製材所の番頭さんをしていて、銘木市場でのセリへの参加や、あちこちの製材所や材木屋さんとの繋がりを作ってくれた。
何も知らない頃から今までずっと、お世話になり続けている。
ただ、番頭さんの体の具合が今回はちょっと良くなく、病院にも通っているということなので、会わずにすぐ茨城に戻ろうかなと考えていた。
すると番頭さんから電話があり、「疲れてるに無理して運転したら危ないから一泊しろ。段取りはつけておいた。」とのこと。 番頭さんは、ぼくのことを知っている違う同級生の方に連絡してくれて、「世話してやって」と頼んでくれていた。
その方に久しぶりに(30年ぶりくらい)にお会いすると、時間の経過はどこへやら。
「おー、よおきた。娘がゲストハウスで働いてるから今日はそこに泊まり!晩飯は一緒におれと一緒に食べよ。」とトントン拍子。
焼肉をご馳走になりながら、昔話、今の話、これからの話、ケラケラ笑いながら。
突然なのに、本当にありがとうございました。
とっても楽しかった上に美味しかった。
泊まらせてもらう宿は吉野町上市にある「三奇楼」
コロナウィルス対策で一日一組限定での営業ということで、なんとお宿を独り占め。
もう解体されてないけれど、祖父母が暮らしていた家は三奇楼の数十メートル横に建っていた。
じいさんばあさんの家からのほぼ同じ眺め。
この景色で眠るのは40年ぶりくらい。
日が暮れ、昼間の暑さがスッと引いてアッという間にひんやりムード。
冷えてはいるけど、空気はまだ夏の香りをふんだんに含んでいるので、爽やかでとても気持ちがいい。
広いウッドデッキに寝そべり、夜空を見上げる。
星が綺麗、吉野は昔から。
流れ星もヒュンヒュン飛んでいく。
バタバタした日々の中で、気がかりなことがいくつかあったり、仕事上でもいいアイデアが出なかったりして、ここ何日か上手く睡眠がとれないでいたのだけども、なんとも気持ちのいい空気の中で熟睡。
目覚めたら、残っていた疲れも吹き飛び、調子のいい状態に戻っていた。
優しい風で一撫でするだけで、気分を相当変化させてくれるのだから、自然の力は大したもんだと改めて思う朝。
もちろん、いろんな人の思いやりも気分を良くしてくれた大きな要因に違いない。
朝、目覚めたら上市を散歩。
室町時代から商業地として栄えたというこの町。
昔からの街並みが残っているので、海外で売られている住宅の写真集にもちょくちょく出てくる。
吉野川からすぐ急な斜面になっていて、その50mから100mほどの間に住宅が密集している。
この密な具合はなかなか凄まじい。
今は過疎化も進んでしまっているけど、全盛期はものすごい人口過密だったはず。
こんな二人並んでは決して歩けない道があちこちにあるのが上市の風景。
地域的な統一性のある街並みの中にも、細かい部分での個性が多々あり、長い時間の中でのいろんな人の工夫やアイデアを見ることが出来る。
入れ替えが速いと近い過去しか見えないので、「残る」ということに、そういう大きなメリットがあることを再認識させてくれる。
今回も色んな方に本当にお世話になりました。
心より感謝。
いい気分のまま突っ走って、また近い内にまた行きます。
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