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  • おかだなおと

続く悪路。


つい最近2022年が始まったと思ったら、瞬く間に一年という時が過ぎ、2023年が始まってしまいました。

やるべき事、やれそうなことが沢山あるので、一日一日を大事に、出来るだけのことをしていこうと思っております。


やるべき事とは、なんでもかんでもやったらいいというものではなく、できる限りでは

あるが、方向性を明確にしておかなければならない。

恣意的な行動では、どこかで行き詰まります。

残念ながら、木材を利用する業界もどん詰まりに向かっている。



森林を利用する中で、建築用材や家具用材としての伐採だけを見ても上手くいっているとはとても言えない状況ですが、森林伐採は他の目的でも行われています。

畜産や農業用地での開拓、火災、パルプ用植林地造成、採鉱、インフラ整備、バイオマス発電用の木質燃料などなど。

皮肉にも、地球温暖化など環境面を考えて進めている事業の中で、自然環境をさらに壊していっている例も多い。


現在の森林破壊は深刻な状態ですが、今だけではなく、世界各地で随分昔からある話でもあります。

例えばアイスランド。

9世紀末まで無人だったこの島は、低地には背の低い種の樺とヤナギ、ポプラの森林に覆われ、森林限界を超える標高の高い場所には草原と苔の広がる緑豊かな場所だった。


そこへノルウェーやイギリス諸島から船で渡ったヴァイキングの人々が入植する。

はじめてこの島にやってきた人々は、生活している場所と似たような景色が広がっているのを目にし、そして植物や鳥などの動物もヨーロッパにいる種に属するものが多かったので入植することを決めたようだ。

ただ、ノルウェーやイギリス諸島にはない火山や温泉は彼らには不思議な存在だったはず。


入植した人々はかつての生活と同じような暮らしをしようとヨーロッパから引き連れてきた牛、豚、馬、羊、山羊と共に、開拓を進めていく。

住宅用の木材、薪、製鉄のための木炭に利用するため、そしてノルウェーから連れてきた牛、豚、馬、羊、山羊の放牧地のために森林は次々と伐採され、僅か100年で97%を失った。


気温の低いアイスランドでは5種の家畜の内、羊が一番環境に適応したので、高地の草原に放牧した。

しかし、草や苔の下は長年降り積もった火山灰でノルウェーやイギリス諸島とは比較にならないほど脆弱だった。

表土を失い露出してしまった火山灰は雨が降ると流れ出し、岩だらけの荒地と変貌していった。

この島の土壌の半分が海へと流れ出てしまったのではないかと推察されている。

バイキングの人々が、ノルウェーで同じやり方ではこの島ではやっていけないと気付いた時には、すでに時は遅く、本格的に入植してからわずか60年で実質的にこの島に住むことを諦めた。


アイスランドの緑豊かな土地は、最終氷期からの1万数千年という時間をかけて、木々や草や苔や菌がゆっくり作った姿であって、人間という種が立ち入った事でバランスが崩れ、それまでの環境は崩壊した。

アイスランドは今でもこの千年ちょっと前の影響が色濃く残り、森林は数パーセントしか回復していない。

アイスランド政府も環境の回復、保全に努力はしているものの、また1万年の時間が必要かもれないし、人間がいる限りは回復しないということもあり得る。


アイスランドのように環境が厳しく、一度崩してしまった状態をなかなか回復できない地域もあれば、気候や土壌環境はいいのに何度も森林崩壊を起こした地域もあります。

日本列島はそのような地域の代表格です。


日本が大きく環境を破壊してしまった第一弾は、七世紀の飛鳥時代に始まったといわれています。

六世紀末から七世紀初めにかけて、飛鳥寺(明日香村)、四天王寺(大阪市)、法隆寺(斑鳩町)をはじめとする数多くの寺社が建てられます。


そして、七世紀末には藤原京が作られる。

藤原京は5.3km四方という巨大な都で(藤原京前の倭京は南北720m、東西450mほどだったとされている)、建設に必要だった材木量は莫大。

藤原京の造営が開始された頃の676年には、天武天皇が大和川上流域の伐採禁止令を出しているので、飛鳥の地の山はその当時にはすでに森林崩壊状態であったと推察できる。

畿内だけでは調達が追い付かず、近江の国から木材を運んでいる。


もうすでに近場の山には木がないというのに僅か16年後には平城京に遷都され、奈良時代が始まる。

都の大きさは南北4.8km、東西4.3km。

七大寺院と呼ばれる、東大寺、西大寺、大安寺、興福寺、天興寺、薬師寺、唐招提寺をはじめ多くの寺院も建てられた。

建設用材の他に、仏像の鋳造、瓦の製造に多量の薪、木炭を消費し、その量は造営用に7万500㎥、燃料用に9万9000㎥になったとされている。

畿内の山は次々とはげ山にされていったと想像される。


そして784年に長岡京、794年に平安京に遷都されるが、その頃には各地に伐採禁止令が出されるも、まだ伐採可能な場所からは年貢として木材を納めさせている。

生活のための薪の調達さえ厳しくなってしまった住民による暴動も数多く起こっている。


当時の天皇や僧侶などの権力者たちが現状をどこまで把握していたのかは分からないが、民衆に心を寄せていたとは思えない。

当時建てられた寺院は、現存するものもあり、使用された良質な木材や建築技術には見事な点も沢山ある。

しかし、一方では民衆の生活をないがしろにした権力者たちの傲慢な権勢欲の代物とも言える。


続く、平安、鎌倉、室町時代には戦が数多く起こる。

大名は敵国から守るために、領土の開発に力を入れ、鉄製の武器を作った。

戦が起これば各地に城塞や砦を設けた。

どの行為にも多量の木材が必要で、各地ので森林が崩壊していった。


戦の時代が過ぎ、天下統一の時代がくるとまた城や寺院の建築ラッシュが始まる。

もう伐採しやすい場所に大径木は残っていないので、北は秋田、南は屋久島と残っている地方に命令し献上させます。

大きな切り株として有名な屋久島のウィルソン株も豊臣秀吉が京都の方広寺大仏殿建設の為に薩摩国の島津家に命令し伐り出された一本だとされている。

1590年頃に伐り出され、1603年の大仏鋳造工事中に起こった火事で焼失してしまったようだ。

樹齢2000年超とも3000年超ともいわれる木は、わずか13年で灰になってしまったが、切り株は400年経った今も腐らず、その姿をしっかりと残している。

この木は枝が多かったらしく、木の上部は運ばれずに現地の沢に放置されたそうで、それもまだ残っているそうだ。


「火事と喧嘩は江戸の華」と言われたように、江戸時代には火事が頻発する。

江戸幕府の支配した267年間の間に大火だけでも49回あったとされる。

規模の小さい火事は数知れず。

繰り返し燃える都市と、その度に必要になる復興。

必然的に森林はなくなっていった。


そして、大きく環境を変えてしまった近年の代表例が明治開拓以降の北海道です。

江戸時代にも和人や松前藩が渡島半島から入植し少しずつ北上していたが、明治維新後、国策として進出する。

ロシアや欧米に対抗するため富国強兵の道を進み始めた新政府にとって、北海道の地の石炭、木材、海産物、硫黄などの天然資源には大きな魅力があった。

ただし、蝦夷地と呼んでいたこの土地に北海道という新たな呼び名をつけ、自国の一部としたものの、それほど思い入れのない場所への扱いはかなり手荒い。


国は炭鉱や鉄鋼の官営工場を設立していくと共に、国内全域から移住者を募集する。

引っ越し費用や農業用、開拓用の道具の補助を出し、移住した人に課した条件は割り当てた

5町(5ヘクタール)の土地を5年の内に開墾できれば土地を付与、できなければ没収というもの。

当時の北海道は原生林広がる土地。

多くの場所は昼間でも暗いほど深い森林だったという。


ちなみに原生林とは人間が入ったことがあっても、ほとんど影響がなく、元の自然状態を保っている森林のことをさし、それらも一切ない森林は原始林と呼ばれます。


入植者たちはまず斧と鋸で木々を切り倒す。

伐倒作業は今も昔も危険な作業。

事故により多くの人が死んだ。

地面に太陽光が入るようになると、切り株の間を耕し、自分たちの食料の為に豆やじゃがいもを植えた。

住まいは笹や木の皮を重ねた小屋。

冬の寒さを超えられず凍死する者も数知れず。

そんな中で、切り株を抜いたり焼いたりしながら(後には火薬で爆破も)土地を開拓していった。

しかし、彼らの必死の頑張りの多くは無残に打ち砕かれ、5年で5町歩を切り開けたのは入植した人の中の2割もいなかったという。

このノルマの厳しさを見れば、政府は国民のことを思っていたのではないことが分かる。

北海道開拓民のことも、野麦峠を越えた女工のことも、戦争に向かわせる兵士のことも、機械的に扱っている面がある。


この時代には日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦と戦争が続いたため、政府は資源をむさぼる。

軍需景気でどの産業にも大金を掴むものが現れたが、それはほんの一握りの人間だけであり、そして一時の事だった。

海にはニシンが戻ってこなくなり、豆類連作のため大地はやせ、森林から木が消えていった。


少し時間は流れ、第二次世界大戦が終わると、樺太や満州から引き揚げてきた人々、また戦地から戻ってきた兵士の新天地として戦後開拓が始まる。

人々は明治開拓で放棄された土地、まだ未開拓だった土地に入植していった。

最初は明治開拓の時のように斧と鋸での作業だったが、間もなくチェーンソーが導入された。

作業効率は格段に上がり、北海道は丸裸になった。


現在の北海道の森林を歩くと違和感を感じます。

違和感の理由は木々が若いので細く、森林としての成熟感がないから。



樹間もまだ狭いので、森を歩いているというより藪の中をかき分けて進んでいる感じの個所も多い。

可愛らしい小さな花や、鳥たちの楽しそうな歌声、ほかの動物たちの姿もよく見かけるので、いい気分にもなったりするのだけれども、ふと冷静になると、元々あった成熟していた森の中では木も花も動物ももっと表情豊かに過ごしていたんじゃないかと、後ろめたい気分も沸いてくる。




行政や旅行会社が「大自然の北海道へ!」なんてキャンペーンを打っているが、この表現はまやかし。

北海道はどこも最近、拓かれた場所で、かなり人工的な場所。


開発は今も続き、さして利用価値があるとは思えない新幹線の為に、金山、銀山の多かった北海道の地下を掘っている。

案の定、発生残土からは規定値を超える有害重金属が出ている。

地上に盛られた土から、有害物は川へ、そして海へ流れていく。

「自然」と謳えば、観光客が来て、金を落としてくれるという算段なのだろうけど、その為に自然破壊を行っている

そして、一番良くないのは、やっている行為にまずさがあることに気づいているのに、分かっていないふりをしていること。


東京や大阪になどの都市部にいい点と悪い点があるように、今の北海道にもいい点と悪い点がある。

文字通り、血と汗と涙を流しながら、北海道の地に向かった人々の努力と忍耐と工夫には学ぶべき点が沢山あります。

ただ展望が近視眼的だったので、他の生物の生活環境を侵してしまった面もあった。


自然というものに良さを感じているのあれば、そこと調和に向かう取り組みを行うべき。

その行為に魅力があれば、人はおのずと集まるはず。

金のためのまやかしは開拓民の心意気の良い部分も踏みにじっている。


第二次世界大戦で焼け野原になった時、復興しようにも木材が全く足りない状況だったので、建築用材用の杉、桧の植林を急ぐと共に、木材の輸入を始める。

当初は輸入材は国産材の2倍も3倍もした。

なかったから買い始めたのであって、安かったから買い始めたわけではない。

そんな中、1973年に為替は変動相場制へと変更になり、円高になった。

輸入材は買いやすくなり、植えた杉、桧の多くは放置された。

そして現在に至る。


近くの資源でも枯渇させてしまう者が、目の届かない範囲の資源に手を出せば、荒っぽさに拍車がかかる。

そこに住む人たちや動植物のことなどお構いなし。

出来るだけ多く、自分の取り分を確保する。

その時に需要が沢山あるのであれば、急ぐ。

産地が安く売ってくれるならなおさら急ぐ。

未来はどうなるか分からないので、稼げる時には稼いでおこうという魂胆。


東南アジアやアマゾンの熱帯雨林の木々は切り倒され、シベリアや中国の奥地から、そしてアフリカの各地からも次々と木材は運び出されました。

環境への影響があまりにも大きく、規制をかけても、巨大になった産業界からの圧力で伐採は続く。

これは日本だけの話ではなく、木材だけの話でもない。

鉱物資源も石油資源も同じ流れにあります。


先進国と呼ばれている国々はもれなく傲慢な過去を持っている。

そして、それは現在進行形。

最近は発展途上と呼ばれていた地域の中にも経済的に豊かになった国も多く、以前は日本が木材を輸入していたが、今は日本の木材を買い付けに来ていたりもする。

彼らの態度も次第に傲慢さが増し、日本側の不満が膨れてきている。

金を持つことが「善い」ことで、持っている金の範囲では何をしてもよい、という今の流れのままでは、これまで重ねた同じ失敗を繰り返す。


現在の状況は深刻です。

僕が生まれた1970年代中頃の世界人口は40億人程度。

現在は80億人、そして2060年頃には100億人を超えそうだとのこと。

過去を見ると、森林崩壊に苦しみ始めた8世紀の日本の人口は500万人程度(世界人口は3億人程)。

日本の人口が1000万人を超えたのは15世紀以降だろうとされている。(15世紀の世界人口は4~5億人程だったとされている。)


世界中の森林が枯渇し、そして再生の見込めない石油や鉱物資源が涸れた時に発生する飢餓と争いは酷いものになるでしょう。

経済の成長よりも人間性の成長に重きを置かなければ、絶望の未来が来る可能性は低くはないはず。


木を使う者、道具を作る者であるから、しっかり考えながら、進んでいきたい。

手にした時に、「これは長く使おう」「他のものも長く使おう」と思っているもらえる、そんな道具を作れるよう努力していこう。

己の思慮が足りず、結果的に破壊者の一人にならないように。


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